扉 > 応援インデックス> トリビュートアルバム『普久原メロディー』


応援/ トリビュートアルバム『普久原メロディー』

『普久原メロディー』 歌い継がれるウタ。
沖縄音楽界-戦後最大の作曲家・普久原恒勇
作曲家生活50周年記念トリュビュートアルバム



このCDのプロデュース兼発売元のオフィスユニゾンの三枝克之さんに
お会いしたのは、発売日当日の10月26日だった。

私は今、普久原恒勇さんの撮った写真にコピー(コトバ)を添える作業をしている。

以前、普久原さんからお借りしたプリント写真をスキャンして
数十点をパソコンに取り込み、キャッチコピーやイメージコピーをつけて、
『普久原恒勇の天然写真』のタイトルで、
テスト的にインターネット上でこっそり公開していたのだが、
画像サイズが小さく、拡大したときに荒れる限界があった。
それよりは大きい形でフォトCDに収めたものがあるという。

私のホームページをリニューアルするこの機会に、
『普久原恒勇の天然写真』のコンテンツの装いも一新したいと考え、
フォトCDを普久原さんにお願いしたところ、
それは三枝さんの方へ貸出しているという。

つい、先日まで普久原さんの作曲活動50年を記念する
トリュビュートアルバム『普久原メロディー』のCDジャケットや
同梱されるライナーノートの制作、
またCDの発売と連動するイベント
「普久原恒勇展~歌い継がれるウタ」の写真展で使用されていたという。

私の方も、この12月25日クリスマス当日に開催される
『普久原メロディー誕生50年』の記念コンサートのタイトルや
キャッチコピー、イメージコピーを依頼され進行中だったので、
ちょうどいいタイミングでお会いできて、幸いだった。

私が初めて普久原さんのコンサートへ行ったのは、
沖縄へ東京から移ってきた1987年4月10日のわずか2週後の4月25日。
当時まだ車の免許を取得していなかったので、
浦添市港川からコザ行きのバスに乗って、沖縄市民会館へ向ったのだった。
宜野湾市伊佐から普天間へ向う途中の
三枝さんのオフィス「カフェユニゾン」の入るビルの前を通って。

そのコンサートは、沖縄タイムス主催の「作曲活動25年記念 普久原恒勇演奏会」だった。
ということは、ちょうど私が沖縄へ来て25年たったということであり、
普久原さんの作曲活動がプラス25年で、トータル50年ということである。
かんたんな足し算の問題であるけれど、この符号と場所の合致に一つの縁を感じてしまう。
出会いの挨拶のかわりに、そんな思い出話を三枝さんにした。

アルバム製作、発売の最初の報道↓(クリックして拡大)


アルバムリリース・フライヤー↓(クリックして拡大)

     

さて、このアルバムを聞いて最初の印象は、「シタイヒャー!」である。
耳に馴染んだ普久原メロディーが、まったく新しい意匠をまとって再登場した感じ。
または、味クーターの沖縄家庭料理が現代のシェフの手により、
瀟洒なテーストで、小奇麗な西洋の大皿にスタイリッシュに盛られた感じ。
といって、原曲のエッセンスはしっかり残っていて、
目をつぶって口に入れても、それが紛れもないウチナー料理とわかる。

つまり、新世代のそれぞれの歌い手が自分が日ごろ通しているスタイルで、
その曲をキャッチし、解釈し、オリジナルなファブリックとして編み込んでいるのだ。
いってみれば、“浅地紺地”が、ユニクロ的モダーンなテクスチャーに変身している。
だから、耳に心地よく、軽快で、捻りがよく利いて、洗練を極めている。

個人的には、「ジントーヨーBLUES」(下地勇&内田勘太郎)、
「草まくら」(Jimama)が、とくに私の舌には、デリシャスだった。

会う人ごとに、このアルバムのおいしさを伝えているのだが、
こればっかりは、自分で食べていただくより他はない。
美容院のマダムは「どこで買えるの?」、といい、
小股の切れ上がった姐さんは「来年のバレンタインの贈り物はコレだな」といったが、
このアルバムは、いま容易にネットでも手に入るし、
バレンタインにもいいけど、その前にXマスプレセント、お歳暮、お年賀にも、いいですよ。

■アルバム添付ライナーノーツより(text by三枝克之)(クリックして拡大)










■NHK特別番組
「普久原メロディーを歌い継ぐ~普久原恒勇トリビュート~」(11月&12月オンエア)