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アパート「たのし荘」、ネーミングの勝利。

(No.004)



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いい名前、素敵なネーミングに出会うと、いい気分になる。
社名、商品名、地名、人名、なんでもそうだ。


近年の例でいうと、
企業事情で「ほっかほっか亭」に変わるブランド名を余儀なくされて、
その壁を突破した新ネーム「ほっともっと(Hotto Motto)」には、拍手を送った。
昔のものなら、お菓子の「カバヤ」や、ミニカーの「チョロQ」とかが印象に残っているね。


自分で作ったものなら、琉球硝子をつかった最初の泡盛、
沖縄の美しい海をシンボライズした真っ青なボトルの「海の道」とか。
これは日本民族の起源を考察した民俗学者・柳田国男翁の著作「海上の道」からとったもので
私の事務所の名前「オーシャン・ロード・プロダクション」にも由来している。
もひとつ、コザの総合結婚式場「ソワ(SOIE)」とか。
こちらはフランス語の「絹」を意味する単語だが、
ハギレ良く、使い回し自在の語感をいただいた。


それはさておき、この写真のアパートのネーミング「たのし荘」には感動した。
息子を学校へ車で送る際にその前を毎日のように行き来するのだが、
見るたびに「いいぞ、いいぞ!」と、エールを送ってしまう。


もし私が独身で部屋を探していたり、
本土から移住してきてアパート探ししていたら、
物件内容や賃貸条件を調べなくても、二つ返事で借りてしまう可能性が高い。


少なくとも、「レジデンス首里」とか、「コーポラス沖縄」よりは、
こちらを優先順位一位で賃貸契約するだろう。

いったいどんな人たちがここに入居しているのか興味が湧くし、
手紙を出すとききっと自分の住所欄に「たのし荘」と書く妙味がありそうだ。


もともと私は名前なんて、「○書いてチョン」派で、余りこだわっておらず、
とくに商品名などは○でも、×でも、△でも、□でも構わず、
製品の価格性能比やイメージの良さで売れれば、それが一種の伝説や神話となり、
なんの変哲もない○や×や△や□でも、語り継がれる程度のものと思っている。


だが、「たのし荘」には、名前+(すごい付加価値)が盛られている。
これはとても大事なことだと思う。


ちなみに、このアパートの事業者は「あいうえお不動産」。
やっぱり、何かががあるね。


 
「たのし荘」全景(首里鳥堀町)       別な場所の「たのし荘」(南風原町) (画像クリックして拡大)

数十年前、私がコピーライターを志望した理由。

(No.003) 


数十年前の想い出話を一つします。
ハイデガーやサルトルといった現代哲学の難解な翻訳書に
苦しめられる青春の日々のある一日、
都内某所でアメリカより新着の数本のCMを見る機会がありました。


一本は、モービル石油の
『あなたの命を大事にしてほしい』キャンペーンでした。
一台の車がニューヨークの高層ビルの屋上へヘリコプターで吊り上げられ
その後、ロープが外され、下へ落下していきます。
加速度がつき、物凄い衝撃で、アスファルトの路面にぶつかります。
濛々と立ちのぼる塵埃がやがて晴れると、そこにはメチャメチャに大破した車の姿。
そこへナレーションが一発入ります。
「あなたが時速60kmで走っていて、事故を起こすと、これだけの衝撃あります。
だからあなたの命を大事にしてください モービルオイル」


凄い感動!


今でこそ石油会社がガソリンを購入する側に立って、
様々な訴求をする手法は当たり前になっていますが、
当時は目の玉が飛び出るほどのコンセプトでした。


もう一つは、レストランのCM。
それも日本よりさらに短い10秒のやつ。
ハムレットとレアティーズが剣で刺したがえる舞台のシーン。
観客はその凄惨な悲劇を固唾を呑んで見ていますが、
カメラはこの二人の役者にグイと寄って裏側から、
二人で内緒で交わされる私語を捕えます。
「これが済んだら、○×で飯を食おうな」
「○×だな、OK!」とつぶやいて息絶えます。


凄いオチ!


○×レストランの名を売る10秒CMの
その破壊力にただ唖然。
コンセプトと表現一つで、人(お店、会社、企業)は社会と
電撃的にコミュニケートできるということを教えられたのでした。


こんな巧妙な手で、しかもユーモアや共感をもって、
商品訴求と集客と売上げ向上を図れることの醍醐味と達成感。
自分の人生を、コピー制作と広告の世界に捧げようと決意した瞬間でした。


それが私の永遠の原点。
なんど思い返してみても、古びないオーラに包まれた原風景。


以来一度も他の仕事についたことはありませんが、
大企業や政府のキャンペーンから、
知り合いのスナックや花屋さんの小広告にいたるまで、
あらゆる分野の広告を手掛けたおかげで、
社会の全身をくまなく触ることができました。


広告の最前線で数十年間、
鍛え上げてきた発想と技術とノウハウの厖大なストック。
これがコピーライターであり、クリエイティブディレクターであり、
集客クリエーターである現在の私を支えています。


告知と広告。 

(No.002) 


告知と広告は、どう違うか?
告知だけなら、コピーライターは要らない。
だれが書いても同じベタな(生な、直裁な)告知文だけを掲載すればいい。


広告で使われるコトバを、
わざわざ“コピー”とよぶのは、
ある意図と狙いをもった“広告文案”であり、
ときとして、“そのヒトコト”だからだ。


そのコトバが、同様の意図と狙いをもったデザインを纏い、
広告主のロゴマークを伴って、広告というカタチをとる。
広告スペースの大小の差こそあれ、確とした意図と狙いをもった訴求をする。
それが広告メディアというものである。


従って、告知のような広告はあるけれど、
広告のような告知はない。
広告のような告知は、すでに広告である。



コピーライターという仕事。 

(No.001)             


この社会にはいろいろな仕事があるけれど、
コピーライターの仕事とは何なのだろうか。
古くは“広告文案家”とよんでいた。
だからといって、広告の文章ばかりを書いている訳ではない。
実は、広告の文章・コトバ=コピーを書いてない事の方が多いのだ。

物(商品)や広告主を売るための戦略、戦術のアレコレ。
つまりマーケティングに関したあるゆるコト。
有形・無形の商品を市場で広める上での問題とその解決。

こうしたことに82程度の思考と行動が費やされ、
残りの18くらいで、コピーを考え、作る。
市場に対し、深く、広く、鋭く、想定した結果を、
1個のコトバにギュッと凝縮したもの。
それがコピーであり、広告のコトバだ。


とてもハナウタを歌いながらできる仕事ではない。
トータルな知識と経験の“埋蔵量”も問われる。
人間社会の伝統と進化の両サイド180度を視野に入れながら、
人にとって、何が大切で、何が幸福なのか。
それを見極めるココロの瞳をもつ必要もある。

そして、人がもつコトバへの信頼と、
1本のコピーを掘り当てる山師のような嗅覚と掘削力。

そしたら、コピーライターの仕事は、
他の胸をうつ仕事と同じようにカッコいいのかも知れない。