コピーライターは、評伝も書く。
沖縄音楽界のカリスマ・喜納昌吉さんの半生。
最初は予定されていなかったのに、計画が途中から発展をして、派生する仕事がある。
沖縄音楽界のカリスマ・喜納昌吉さんの「∞(8=エイト)デイズライブ」公演のプロモーションで、
予告のためのポスターやフライヤー(チラシ)、新聞広告だけのはずが、
当日のプログラムを兼ねたパンフレットに
昌吉さんとチャンプルーズの40年に渡る通史を書くことになった。
そもそも、このライブ自体が昌吉さんの活動を8つの時期に分け、
それを八夜連続で回顧するというコンセプトだったので、
必然といえば必然なのであったが。
昌吉さんへの想いのたけをこめた、100%完全燃焼の想い出の仕事となった。
加えて、昌吉さんとの対談や、地元新聞へのライブの寄稿も行なった。
◆下の画像をクリックすると、拡大します。
第一夜 出発 10~28歳 第二夜 本土デビュー 28~30歳
第三夜 政治の季節 30~32歳 第四夜 バクワンとの出会い 32~37歳
第五夜 沖縄芸能と喜納昌吉 第六夜 新たなる覚醒 37~41歳
第七夜 Vol.1 変貌 42歳~44歳 第七夜 Vol.2 ボーダレスムーヴメント
第七夜 Vol.3 舞台のメッセージ 第八夜 21世紀へ向けて
昌吉With樋口たのしい、たましい対談 扉ページ/私から昌吉さんへのたのしい、たましいメッセージ
8デイズライブパンフ表紙(昌吉さんのTシャツクローズアップ)全64ページ(1992年)
本文&コピー 樋口謙一 デザイン&写真 山川健二
追記。
1992年初秋、那覇。
8日間連続上演された「8 DAYS LIVE」公演で配られた上記の公演パンフで、
私はそれまでまだしっかりと記述されていなかった
喜納昌吉さん個人、及びチャンプルーズの通史を書きました。
その夏、膨大な資料の山に埋もれながら、
この稀代のアーチストとその音楽と活動を
世代をこえて解ってもらうために編み出したのが評伝という手法でした。
「たのしい、たましい。」は、90年代の昌吉さんをアピールするために作ったキャッチコピー。
このコピーが生まれた背景については、
80年代を席捲したコトバである「元気印」と絡めて、公演パンフ第三夜で触れています
また下の地元新聞コラムにも、喜納昌吉さんと、
もう一人の「元気印」というコトバの生みの親である保坂展人さんのことを寄稿しています。
その二人が、現在、そろって政治家になっているのには、運命的なものを感じます。
◆地元新聞へ寄稿(琉球新報1992年8月27日付け)