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 第1回琉球新報児童文学賞受賞作品


まったく、ぜんたい、あのガメラのやつは
いったいなにを撮影しているんだろう。
毎朝、毎朝、よくあきないものだ。
7時すぎになるときまって、
向かいのアパートのベランダに姿をみせる。
その丸っこい巨体が登場するようすは、
土俵にあがる北勝海みたいだ。

そしてガメラはしばらくベタンダの向こうにひろがる
東シナ海をながめたあと、
ゆっくりとカメラを構え、シャッターを1回だけきる。
なぜか決まって、儀式のように1回だけだから、奇妙だ。
フィルムがもったいないのかな。
としたら、ガメラはすごいケチなのかもしれない。

シャッターをきる瞬間の顔も、
仕切りするときの北勝海にそっくりで、
真剣だがどこか愛敬がある。
そのときカメラは太った腕の中で小さなオモチャにみえる。
ぼくがこの男を、カメラをもじって怪獣みたいにガメラと名付けのも、
男のそんなキャラクターのせいだ。


琉球新報に発表された時のイラスト(新里堅進氏・画)

だいたい、ぼくはついこの間までこんな早起きではなかった。
毎晩のように深夜ハイカイをくりかえして寝るのがおそいから、
母さんが起こしてくれなければ昼まで眠っているはずなのだ。
それが母さんが起こしてくれなくても、
自分から起きられるようになったのは、ガメラのおかげだ。
そのことは母さんに黙っているから、
母さんはぼくがとつぜん
お利口さんになったと思っているにちがいない。

ぼくの家には、父さんはいない。
ぼくの小さいころ母さんと離婚してしまったから、
父さんの顔も記憶がないし、
それなら最初からいないのと同じで、別にさびしくもない。
少しさびしいと思うのは、街の飲食店で働く母さんが
ぼくといっしょに夕食をすませて出かけたあとの、
一人の長い夜の時間だ。

初めのころはテレビをみて、ガマンした。
よく友だちがアニメなんかの自分の好きな番組を、
両親の見たい番組があると切りかえられてしまったりするので、
キミはずっと見たい番組を独占できていいねと
うらやましがったけど、ぜんぜんわかっちゃいない。
テレビでも食事でも家族といっしょだからたのしいのだ。

ぼくみたいにひとりなら、
家族の族がなくて、家だけになってしまう。
そのガランとした家の中で、
ぼくはテレビの音をいっぱいにして
さびしさをごまかしていたけれど、
ときどきテレビは音声がとぎれる場面があったりするんだ。
そのとき家の中は急にシーンとして、
いまぼくはひとりきりなんだとあらためて思う。
母さんが帰ってくるまで、ひとりぽっちなんだと思う。

もう一つ、さっきの友だちに教えてやったんだけど、
テレビはね、本当は見るもんじゃなくて聞くもんなんだよ、
ウソだと思うならテレビの音を消して見てごらん。
ちっともたのしくはないし、さびしいから。困ったものさ、
家族がいるのがあたり前と思っている家庭の子はッ!  

ぼくが深夜ハイカイをするようになったのは、それからだ。
ぼくと同じ母子家庭の級友に話をもちかけたら、
すぐにハイカイ仲間になれた。
その子も母さんの帰りを待つ長い夜を知っているのだ。

その子と歩く深夜のネオンの海の冒険は、
家でひとりでいるよりは、何十倍も充実していた。
オトナの仲間入りをしたという気分がたまらなかった。
ほかの子どもたちはみんな家でじっとしているのに、
ぼくらだけ夜の街のジャングルを
小さなヒョウみたいに駆け回っているという優越感! 
それまでのぼくらのマイナス面を
すべてプラスにひっくり返すことのできる、それは魔法だった。

ゲームセンター、ドライブイン、ディスコ…
どこも光が洪水のようにあふれて、ぼくらのさびしさを忘れさせてくれた。
しかしぼくらの冒険をはばむハンターもあちこちにいた。
黒っぽい服をきた補導員たちだ。
深夜ハイカイが社会問題になって、
小さなヒョウの群であるぼくらを野放しにはさせない。
その網の目をくぐって展開されるぼくらの冒険は、
敵がいることによって、よりスリルにみちたものになった。

でも逃げきれずに、捕獲されることもあった。
そのときぼくの逃げ口上の切り札は、゛母さんの病気″だった。
 「母さんが急病なんだ。母さんの働いているスナックに迎えにいく途中なんだ!」と答える。

大抵はそれですんでしまうけれど、
ウソをついたうしろめたさよりも、
そのあとなぜか頭のシンから
そう思いこんでしまうのがぼくのクセで、
母さんが本当に倒れたらどうしようと心配になってしまう。
ぼくたちの生活はどうるんだろうと不安になる。

だからその足で、
母さんの働いている店をのぞいたこともあるんだ。
店のドアのスキ間からのぞくと、
母さんは笑顔でお客さんの相手をしていた。
その姿を見るとぼくはホッとして、
またなぜかそれ以上ハイカイする気持がなくなって、
家に戻りフトンに入って母さんの帰りを待つんだ。

そんな夜は母さんの帰る前に
フトンの中にすべりこみセーフして、
タヌキ寝入りでずっと留守番していたかのような
いつもの芝居はやめて、
さも母さんの帰宅の物音で起きたように
「おかえんなさい」と寝ぼけた声をよそおっていうんだ。
母さんのお酒の匂いはいやだけど、
その夜に限っては気持ちが自分もお酒を飲んだように
ヌクヌクしていて許してあげたくなるんだ。

そんなわけでぼくは朝寝坊の常習犯なのだけど、
それが母さんもびっくりする早起きの模範生になったのは、
一にも二にも、ガメラのせいなのだ。
毎朝、それも目覚まし時計の正確さで同じ時刻に、
いったいなにを撮っているんだろう。
ヘンなやつだ。
それを確かめたくて、その正体を知りたくて、
ぼくは深夜ハイカイを中断した。
しっかり寝ておかないと、
ガメラと同じ時間に起きられないからだ。



作品のモチーフとなったベランダの眺め

ガメラとの交流のきっかけは意外と早くおとずれた。
ある朝、いつものように洗面所のタテ格子の窓から
向かいのベランダのガメラの撮影風景をこっそり眺めていると、
海の方へカメラを構えていたガメラが
いきなりぼくの方へ向きをかえて、
レンズを向けてきたのだ。

ぼくは雷がおちたようにびっくりした。
それまでは気づかれていないと信じていたのだ。
それをガメラは感づいていたばかりか、
盗み見の罰のようにカメラを向けてきた。
ぼくはとっさに窓から首をひっこめた。
そしてそのままの姿勢で
ようすをうかがうためじっとしていた。
時間がたった。
もう大丈夫と首を出したとき、
待っていましたとばかりに
シャッターをきる音が連続して響いた。
 カシャ! カシャ! カシャ!
 平手打ちをたてつづけにくらったように、
ぼくは動けなかった。

やがてガメラはカメラをおろし、
カメラでかくれていた顔をあらわした。
その大きな顔は笑っていた。
顔がくしゃくしゃになるくらい笑っている。
優勝したときの北勝海のほがらかな笑顔そっくりだ。
ガメラの声が聞こえてきた。  
 「いい顔がとれたぞ! 
ハトが豆鉄砲をくらったときのようにビックリ大賞の顔だ!」
 なんて意地のわるいヤツなんだ。
毎朝、フィルムをケチって1回しかシャッターをきらなかったヤツが
ぼくのスキをついて、
ぼくの顔をこれでもかこれでもかというくらいに撮るとは! 
アッケにとられているぼくに、ガメラはまたいった。 
「沖縄一のハンサムボーイ、ついにフォーカスされる! 
仕上がりは2、3日後だ。
あげるから、取りにおいで、坊や!」
 ガメラはアパートの自分の部屋の番号を告げると、
さっさと中へ入ってしまった。


ところがその翌朝から、ガメラの姿が見えなくなった。
ベランダの戸はしまったままだ。
夜も電気がついていない。
病気ではないかと心配になって
部屋のドアをノックしたが、留守だった。
からかわれたような気分はすっかり吹っ飛び、
学校へ行っている以外は
朝も夜もじっと見張っているぐあいになった。

1週間ほどした夜、ガメラの部屋に電気がともった。
待ちかねたように行った。
 「おじさん、どこへ行ってたの。写真たのしみにしてたのに」
 ガメラはすっかり日焼けしていた。
太ったおなかや胸をつつむLLサイズのTシャツの白が、
日焼けした肌によく映える。
 「ずっと南の方。イリオモテヤマネコの島さ」
 と、いいながら、
たくさんの写真のプリントの束の中から、
ぼくが写った例の写真を数枚えらんで渡してくれた。

ぼくのボーゼンとした顔が印画紙いっぱいに写ってる。
ほっぺたの小さなつぼみのようなニキビまでよく見える。
ズームで、それも連写している。
キョトンと目を丸くした表情の変化が
アニメのように刻々と撮られている。
おまけにタテ格子の向こうに写ってるから、
オリの中の囚人みたいだ。

「ひどいなあ、おじさんは」
 「ゴメン、ゴメン。でもね、前からこっそりのぞいていたから、
一丁、おどろかしてやろうと、ねらっていたのさ」
 「なんだ、知ってたのか。
ところで、おじさんは毎朝、いつもなにを撮っているの」
 ぼくは、いちばん興味のある質問をした。
 ガメラは、あっさりと答えた。
「お天気写真さ。
その日、朝7時半の天気を記録する写真を、
水平線に向かって撮っているのさ。
同時刻、同一場所、同角度で、毎日、1枚づつ記録する。
定点撮影というけどね」

 「フーン、そんなことして、おもしろいの」
 ガメラは、それほどたのしくはないけど、それが日課だといった。
撮らないと、朝、顔を洗わないようで落ちつかないそうだ。

そんなことをしてなんの役に立つんだろう? 
なんの役にも立たないけれど、
少なくともその朝の天気の正確な記録と、
写真に撮らなければ次々と消えていってしまう1日1日を、
1枚1枚の写真で残すことができるという。

ぼくは夏休みの絵日記の宿題を思い出した。
最初のころは毎日つけているのに、次第になまけるようになって、
休みの終わりが近づくと
もう過ぎ去った日々の天気なんか
とても記憶でたどれなくなっていて、
仕方なく測候所に問い合わせて教えてもらい、
半月分の天気を1日で記入したりする。

なにをしたかの記録も、
母さんにビーチなどにつれてってもらった特別の日以外は
覚えてないので、適当に記入する。

クッキリと独立して輝いていたはずの1日1日が
グジャグジャにひとかたまりになって、
ワケが分からなくなってしまった後味のわるさを、いつも感じたものだ。

ぼくはいったいなにを毎日してたんだろうという、
淡い後悔がそこにはある。
ガメラは、たぶんほっとけばドンドン流れていってしまう
イチ・ニチ・イチ・ニチを、天気写真を撮ることによって
くい止めているといいたいのだと、思った。

気がつくと、
ぼくの写真のまじっていた写真の束はみんな天気写真だった。
36枚撮りだから、ひと月分はある。
二度とくり返されない、消えてしまった1カ月間がそこにある。

写っているのは、ベランダの囲いと、
手前にはいつも1/3だけ見えている白い丸いテーブルと、
向こうには海の方へ下ってゆく畑と建物と、
上半分は海、水平線、そして空だ。
まったく同じ被写体で、同じ構図だ。
しかし1枚、1枚、ちがってみえるから不思議だ。

同じ時刻なのに、
全体の明るさはもちろん、海の色も、
雲の形も一つとして同じものがない。
羊のようにポッカリとのどかに浮かんだ雲、
薄いドレスのようにたなびいた雲、
空の巨大な建造物のように高くそびえ立った積乱雲……
まるで雲の見本市だ。

またリーフにたつ波の有無で、
潮の満干や風の強弱がわかる。
全体が薄青にけぶってみえるのは、雨の日だ。
よくみると、テーブルの端がぬれてつやつやしていて、
そこにベランダの囲いの影が映っている。

こんな写真をみるのは初めてなので、ぼくはおどろいた。
確かに一日一日は別々な日で、
後ろの日にも前の日にも似ていないのがわかる。
そしてそのとどめの証拠のように、
それぞれの日付がしっかりと写しこまれている。

それが一週間前の日付で止まっているのは、
ガメラがイリオモテに行っていたからだ。
この一週間は、永久に撮りなおすことができないと考えたとき、
ぼくは残念でさびしく思った。
 
「おじさんがさっきいってたこと、
この写真をながめていると、よくわかるよ。
なぜ、一週間も空白にしたの。
無失点記録がとだえるようで、もったいないなあ。
今度、留守にするときは、
ぼくがピンチヒッターになって写すよ」

ぼくは、ぼくがフォーカスされた、
まだよく覚えている晴れていたあの特別の朝の天気写真を手にしながら、
ガメラにそういった。    

それからガメラは、ぼくの興味をそそることを話してくれた。
ガメラはぼくがアダナをつけたように、
カメラ気違いの本職のカメラマンであること。
沖縄が好きで、本土から移住してきたナイチャーであること。
沖縄の海の美しさに魅せられているが、
地元の人はこの海が生まれたときからあるので
あたり前のように思い、あまりありがたく感じていないようなので、
朝起きると近所にきこえるようにツラあてめかして、
「今日もケンコー、海がアオイ!」と、
呪文の叫びをすること。
そういえば母さんが晴れた日には、
となりの方からなにか大声できこえるといってたのは
この奇声にちがいない。

さらにガメラは自分の夢を語ってくれた。
「君が、ぼくの留守の間、
ピンチヒッターで天気写真を撮ってくれるのは、助かる。
ぼくにしてもそれを途切れさせたくはないからね、
いつも気になりながらも、イリオモテに行っているんだ。
イリオモテに出かける理由かい? 
それはヤマネコの撮影じゃない。
マングローブの密林でもない。
ジュゴンでも、アザミサンゴでも、
日本一巨大なサキシマスオウノキでもない。

なんのロケだと思う? 
それは、それらのすべてが生きている、
生かしているイリオモテという島全体の撮影だ。
陸からじゃない、空の上からだ。
それも雲のかかっていないイリオモテの島の全景を
そっくりとらえるのだ。
この撮影は、世界でもだれひとりとして成功していない。
雲のかかった写真はあるけどね。
それを、ぼくが最初にやりたいのだ!」

ガメラの話してくれたことによれば、
沖縄本島の雲のかかっていない全景写真は
すでに撮られているという。
喜屋武岬の南方から航空撮影したもので、
辺戸岬までの全島地形がクッキリととらえられているという。

しかしイリオモテは、まだだ。
理由は、イリオモテ特有の天候のせいだ。
密林におおわれた島なので、水蒸気が発生しやすく、
従って上空に雲が発生しやすい。
いつもどこかに雲が浮かび、島影をかくす。

そこでガメラは島の人に見張り役になってもらい、
雲が切れた空がつづきそうな日には
本島へ電話連絡をもらうことになっている。
そしてセスナ機を急きょチャーターして、
大急ぎでイリオモテに飛ぶのだ。
この前留守にしたのもその連絡がきたからだが、
到着したころは雲がかかっていて空振りに終わった。
数日間、ようすを見ていたがやっぱりだめだったという。
 
「そんなわけで、今度、いつまた飛ぶかもしれない。
一瞬でいいんだ。
シャッターをきるそのゼロ、コンマ何秒の間だけ、
ほんのまばたきをする一瞬間だけ、
雲がきれていてくれれば、ぼくの夢は達成される」

その一瞬のために費やされるぼう大な時間と、
労力と、費用を考えると、気が遠くなりそうだ。
そうならイリオモテに住めばいいはずだけど、
ほかの撮影の関係でムリという。
一点の雲もないイリオモテの島の全景写真は、カメラマンの勲章なのだ。
ぼくはガメラがおじさんのくせに同級生の友だちのように
熱っぽく語るのをみて、ますます応援したくなった。


現在はここに住んでいないが、第二の故郷ともいえるかけがえのない場所。
近くを通りがかるとそこで暮らした6年半の日々がタチドコロニよみがえる。

それからというもの、ぼくは完全な早起きになった。
深夜ハイカイもすっかりやめてしまった。
夜はガメラの部屋に行って、
おしゃべりをしたり、カメラの操作を教えてもらった。
ガメラがイリオモテに飛ぶときにそなえて、
ぼくはカメラをマスターしておく必要があるのだ。

そんなおしゃべりの中での話だが、
ガメラは子どもの深夜ハイカイは本土では考えられないという。
本土の子どもがマジメで、親もしっかりしているからか? 
そうではなくて、沖縄の特殊の事情によるものだという。
離婚率が高く母子家庭の多い沖縄では、
給与の面で母親は夜の仕事に結果的につくことになり、
夜、子どものそばにいてあげたくてもいてあげられない。
子どものさびしさは募る。
その背景を無視して、本土と同じ感覚で、
子どもの深夜ハイカイを一方的に取りしまるのは片手落ちだ。
取りしまるより先に、
母親が夜の仕事に出なくてすむようにするとか、
似た境遇の子どもの集まれる施設をつくるとか、
その方が先決だという。

本当は好きで深夜ハイカイをしているわけではないのに、
家族といっしょに夜のたのしい団らんのときを
すごせる級友たちに負い目をいだき、
自分をいけない子と責めていたぼくは、
ガメラの言葉で救われた気になった。
そしてなによりも、ガメラと同じ夢を分かち合い、
朝も夜もガメラといっしょなのだ。

机の前に貼った、
ガメラの撮ったぼくの例の写真をみて母さんは、
「オリにとじこめられた茶坊主の珍念といったところね」
と、からかった。
ガメラの天気写真やイリオモテの夢を話すと、
「男の人たちは、夢があっていいわね、
大事になさい。その夢が、女の人たちを幸せにするのよ」
としんみりといった。

ぼくの朝のあいさつは、たとえ雨が降っていても、
「今日もケンコー、海がアオイ!」になった。
ガメラにはもちろん、
母さんにも、また学校の友だちや先生にも、
「今日もケンコー、海がアオイ!」で通した。
ガメラ以外はふしぎな顔をするけれど、
ぼくはわざと説明しなかった。 

それから数カ月がして、
ついにガメラがイリオモテに飛ぶ日がやってきた。
日曜の午前、ベランダからガメラはぼくに声をかけ、
部屋のカギとカメラを渡すと、急いで出かけて行った。

もう、その日の天気写真はガメラが撮った。
明日から帰ってくるまでは、ぼくが代役をつとめるのだ。
リハーサルのために、ぼくはガメラが付けた足型の印の所に立ち、
カメラを構えてみた。
そのとき初めて気がついた。
たとえ同じ場所に立っても、ガメラの方が背が高いので、
ファインダーの中の風景は同じ構図にならない。
ぼくの場合は、
ベランダの囲いが風景の前に立ちふさがるようになってしまう。
海へくだってゆく畑や建物はかくれてしまうが、
しかし海や空はしっかり写る。
イスにのって撮ればガメラと同じになるが、
それではちょっとつまらない。
撮影の日付は入っても、撮った人の名前は入らないからだ。
ぼくが撮ったという証拠のために、
ベランダの囲いの向こうに
海と空だけがひろがった写真にしよう。 

ファインダーをのぞくと、
休日の午前の光をいっぱいに浴びて、
白いレエスの縁飾りのような波の立つリーフを境に、
エメラルドグリーンと深いコバルトブルーとに
見事に色分かれした珊瑚礁の海がみえ、
その上に雲一つない、
たたけばカーンと音がしそうなまっ青な空がひろがっている。
ぼくは、いまセスナに乗っているガメラに向けて、
この青空がイリオモテまでつづいていますようにと、祈った。
そしてこの日、この一瞬を、
ぼくのために永遠に残すためにシャッターをきった。
  
(おわり)

1989年5月19日琉球新報紙上に発表